労働災害
労災で会社に損害賠償を請求できる場合:労災保険で補われない損害と慰謝料
「労災保険から給付を受けたら、会社には何も請求できない」と思われている方は少なくありません。労災保険は損害のすべてを補うものではなく、会社に責任があれば、足りない分を損害賠償として請求できます。請求できる場合と、労災保険の給付との調整のしかたを解説します。
執筆 弁護士 松井春樹(第二東京弁護士会)公開 2026年10月4日更新 2026年10月4日
この記事のポイント
- 労災保険には慰謝料の給付がなく、休業補償給付も給付基礎日額の60%です。足りない損害は、会社に責任があれば請求できます。
- 会社の責任は、安全配慮義務違反(労働契約法5条)や使用者責任(民法715条)などを根拠に問います。労災と認定されたことと、会社に責任があることは、別の判断です。
- 労災保険の給付は、同じ性質の損害からだけ差し引かれます。慰謝料からは差し引かれず、特別支給金も差し引かれません(最高裁昭和62年7月10日判決、最高裁平成8年2月23日判決)。
労災保険では補われない損害
労災保険は、仕事によるけがや病気について、治療費や休業中の収入などを補償する制度です。ただし、損害のすべてを補うものではありません。
- 慰謝料:労災保険には、精神的な苦痛に対する給付がありません。
- 休業中の収入:休業補償給付は、休業4日目から1日につき給付基礎日額の60%です(労働者災害補償保険法14条1項)。別に20%の休業特別支給金がありますが(労働者災害補償保険特別支給金支給規則3条1項)、休業補償給付で補われない40%の部分は、会社への請求の対象になり得ます。
- 後遺障害・死亡による将来の減収:障害補償給付や遺族補償給付は、等級や遺族の数に応じて給付基礎日額の何日分という形で決まるため、実際の減収(逸失利益)の全額を補うとは限りません。
なお、業務災害で休業した最初の3日間は労災保険の休業補償給付の対象外で、会社が平均賃金の60%を補償する義務を負います(労働基準法76条1項)。
会社に損害賠償を請求できる場合
会社に請求するには、会社に法律上の責任があることが必要です。主な根拠は次のとおりです。
- 安全配慮義務違反:使用者は、労働者が生命・身体等の安全を確保しつつ働けるよう、必要な配慮をするものとされています(労働契約法5条)。判例も、使用者は労働者の生命・身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負うとしています(最高裁昭和50年2月25日判決、最高裁昭和59年4月10日判決)。
- 使用者責任:上司や同僚の過失で事故が起きた場合は、会社が使用者として責任を負うことがあります(民法715条)。
- 工作物責任:建物や設備の設置・保存に欠陥があって事故が起きた場合です(民法717条)。
安全装置や保護具がなかった、危険な作業の手順を教えていなかった、人手不足で無理な作業を指示した、長時間労働を放置した、といった事情が典型です。長時間労働によってうつ病を発症し自殺に至った事案では、会社の責任が認められています(最高裁平成12年3月24日判決・電通事件)。
最高裁は、安全配慮義務を、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者の間で、信義則上負う義務としています(最高裁昭和50年2月25日判決)。下請会社の労働者が、元請会社の作業場で元請会社の指揮監督を受けて働いていたなどの事情のもとで、元請会社の安全配慮義務を認めた判例もあります(最高裁平成3年4月11日判決)。派遣社員の場合も、実際に指揮命令をしていた派遣先の責任が問題になります。
注意したいのは、労災と認定されたことと、会社に責任があることは、別の判断だという点です。労災保険は会社の過失を問わずに給付されますが、損害賠償には会社の義務違反や過失が必要です。逆に、会社に責任があれば、労災保険の給付を受けていても、足りない損害を請求できます。
労災保険の給付は、どの損害から差し引かれるか
労災保険の給付を受けた場合、会社は、同じ事由について、その価額の限度で賠償の責任を免れます(労働基準法84条2項の類推適用。最高裁昭和52年10月25日判決)。ただし、差し引かれるのは、給付と同じ性質の損害からだけです。
- 休業補償給付や傷病補償年金など、収入の損失を補う給付は、休業損害や逸失利益(収入の損害)から差し引かれ、慰謝料や入院雑費などからは差し引かれません(最高裁昭和62年7月10日判決)。
- 休業特別支給金・障害特別支給金などの特別支給金は、損害額から差し引かれません(最高裁平成8年2月23日判決)。
- 会社に対する損害賠償の額から差し引かれるのは、実際に支払われた年金だけです。将来の支給が確定していても、まだ支払われていない分は差し引かないとした判例があります(最高裁昭和52年10月25日判決)。一方で、会社が、年金の前払一時金の額を限度に賠償の支払いを猶予できるなどの調整の仕組みもあります(労働者災害補償保険法附則64条)。
- 第三者の行為による災害の事案で、ご本人にも過失がある場合は、損害額から過失の割合を差し引いた後に、労災保険の給付を差し引くとした判例があります(最高裁平成元年4月11日判決)。
単純化した例で示します。会社に責任があり、休業損害が100万円で、ご本人に過失がない場合、休業補償給付60万円は差し引かれますが、休業特別支給金20万円は差し引かれません。会社には、休業損害の残り40万円に加えて、慰謝料を請求できます。
示談書にサインする前に
会社から見舞金や示談金を提示されたら、金額の根拠を確かめる前にサインしないでください。示談書に「本件に関し、ほかに何の請求もしない」という清算条項があると、原則として、後から追加の請求はできません。後遺障害の等級が決まる前は、損害の全体が分からないため、特に注意が必要です。会社が、労災保険とは別に上乗せの補償制度や民間の保険を用意していることもあるため、あわせて確かめます。
請求の期限
会社への損害賠償請求は、人の生命・身体の侵害によるものなので、安全配慮義務違反を理由とする場合は権利を行使できることを知った時から5年(民法166条1項1号)、不法行為を理由とする場合は損害と加害者を知った時から5年です(民法724条の2)。このほか、安全配慮義務違反は権利を行使できる時から20年(民法166条1項2号・167条)、不法行為は不法行為の時から20年(民法724条2号)で、請求できなくなります。2020年3月31日以前の事故などには、改正前の民法が適用され、期間が異なる場合があります。
労災保険の請求にも期限があります。療養・休業の給付は2年、障害・遺族の給付は5年です(労働者災害補償保険法42条1項)。2027年4月1日以後に生じた疾病のうち政令で定めるものは、療養・休業などの給付の期限が5年に延びます。2027年3月31日以前に生じた疾病は2年のままです(令和8年法律第60号附則5条)。
弁護士に相談するタイミング
会社から示談を持ちかけられた、後遺障害が残りそう、会社から「労災保険が出るから十分だ」と言われた、といった段階でご相談ください。会社の責任を問えるか、どの損害がいくら残っているかを整理します。
執筆 弁護士 松井 春樹
第二東京弁護士会所属。弁護士法人越水法律事務所。東京大学法学部卒業後、森・濱田松本法律事務所を経て現職。テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」でスポットワークの労働問題を解説(2025年9月)。
公式プロフィール ↗参考資料
- 労働者災害補償保険法(e-Gov法令検索)
- 労働者災害補償保険特別支給金支給規則(e-Gov法令検索)
- 労働基準法(e-Gov法令検索)
- 労働契約法(e-Gov法令検索)
- 民法(e-Gov法令検索)
- 厚生労働省「労災保険給付の概要」
- 厚生労働省「労働者災害補償保険法等の一部を改正する法律(令和8年法律第60号)の概要」
- 厚生労働省 通達「労働者災害補償保険法等の一部を改正する法律の公布について」(基発0717第2号)
- 最高裁判所第三小法廷 昭和50年2月25日判決(陸上自衛隊八戸車両整備工場事件)
- 最高裁判所第三小法廷 昭和59年4月10日判決(川義事件)
- 最高裁判所第二小法廷 平成12年3月24日判決(電通事件)
- 最高裁判所第一小法廷 平成3年4月11日判決(三菱重工業神戸造船所事件・集民162号295頁)
- 最高裁判所第二小法廷 昭和62年7月10日判決(青木鉛鉄事件)
- 最高裁判所第二小法廷 平成8年2月23日判決(コック食品事件)
- 最高裁判所第三小法廷 昭和52年10月25日判決(三共自動車事件・民集31巻6号836頁)
- 最高裁判所第三小法廷 平成元年4月11日判決(高田建設事件・民集43巻4号209頁)
法令は2026年10月4日時点の内容です。個別の事案への当てはめは、事情によって異なります。
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